報告5 ダンブッラ
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 ダンプッラはスリランカ最大の石窟寺院で、首都コロンボから北東に約150km、また5世紀頃に描かれた天女の壁画があることで有名なシーギリヤから南西に約30km、にあり、高さ335mの岩山の中腹(約180m)に造られた石窟寺院であります。

 寺院の山門付近から見える自然の遠望はとても素晴らしく美しい景色です。

 この石窟寺院は全部で5つありますが、この歴史は大変古く2千年以上の歴史を有しております。山門と第1窟の間の岩面に、古ブラフミー文字で刻まれた25行の碑文が微かに残っており、これによると紀元前1世紀ワダガーマニー・アバヤ王(BC43〜)が古い寺院に手を入れ造営したのだそうです。

 そのいわれは、紀元前1世紀アヌラーダプラの都のいたアバヤ王が、南インドから侵入してきたタミール族に追われ、ダンプッラの地に逃れてきてここに住む仏教僧に助けられたのだそうです。その後王は、タミール軍を打ち破ってまたアヌラーダプラの都に戻りましたが、帰還した王は感謝の意としてこの石窟寺院に手を入れたのだそうです。
 5つの石窟のうち、第3窟は18世紀以降、第5窟は20世紀初頭(1915年)に出来た比較的新しい窟ですが、古い第1窟は涅槃仏窟で、長さ14mに及ぶ自然石をくり抜いた涅槃仏が横臥し、その足の方にはアーナンダが立っており、先に御紹介したポロンナルワのガル・ビハーラの涅槃仏の光景を思い起こします。

 第2窟、第3窟他の仏像群をご覧下さい。

 ここで、日本や中国の仏像を見慣れている方には「あれは何だ?」と思われる姿の釈迦像が多く見受けられます。頭に火焔状のものが載っております。これは火炎形頭飾「シラスパタ」と言いまして、光の塊を示唆する瘤状の肉髻(にっけい)を頭頂部に表し、仏陀の徳を顕しているといわれております。

 また、ダンプッラ石窟寺院の中で最も良い肖像浮彫りとして、18世紀の、王冠を付け合掌するキールティー・スリー・ラージャシンハ王の像があります。この王様は、石窟寺院の造営に大きな貢献をし、特にそれまで倉庫として使われていた第3窟を今のような礼拝の窟に造り変えた功績がありました。

 石窟壁画につきましては、天井画として釈迦仏伝図、仏陀像、忉利天の弥勒説法図等フレスコ画がありますが、17〜18世紀、20世紀初頭の比較的新しいものだそうです。

               最後に、先にこのダンプッラ石窟寺院は、ワダガーマニー・アバヤ王(BC43〜BC17)による造営と述べましたが、このアバヤ王の治世に、ダンプッラ石窟寺院から車で30分程度の距離にある「アル・ビハーラ寺」が建てられ(紀元前1世紀頃)、ここでパーリ語による仏教聖典が筆写され作られた、という事実を御紹介しておきましょう。
御承知の通り仏教聖典は代々暗記口誦によって伝えられてきたのですが、これが椰子の木の一種、ターラ―樹の葉に写経し「貝葉経」が出現した訳であります。インドの聖典筆写に先んずるものといわれています。

 聖典筆写事業が起こった歴史的背景として、アバヤ王時代には、タミル族が侵入してきたり、王に対しバラモン僧が挙兵したり、空前の大飢饉で餓死者が出たりして、仏教教団の指導者たちは仏教の危機を感じ、ここアル・ビハーラの地に集まって仏法を永く伝え残すための聖典筆写事業を行なったのだそうです。
 私も、アル・ビハーラ寺で作っている貝葉経を一巻買ってきました。
 序に、このアル・ビハーラ寺にある「地獄絵図」は大変迫力があり、地獄を扱った様々な絵図は日本と余り変わりありません。ご参考までにお見せします。

 まんだら通信次回報告は、シーギリヤの有名な壁画「天女の像」を取り上げてみたいと思います。