特に食事については、インドでは過去何回もお腹を壊した苦い経験がありましたことから、かなり構えておりました処、しかし、それは全く杞憂に終わり、カレーのご飯は美味しいし野菜果物も新鮮で、しかも一度もお腹を壊すこともなく実に快適な楽しい毎日でありました。
スリランカは北海道の約8割位の小さな国ですが、そこには世界遺産登録の仏教遺跡だけでも五か所もある仏教大国でありまして、移動距離も比較的少なくて多くの仏教遺跡、美術を見ることが出来ました。
スリランカは御承知の如く熱心な仏教国で、しかも上座部仏教(小乗、南伝仏教)の国であります。ここから、タイ、ミャンマー(ビルマ)、カンボジア、ベトナム等へ仏教が伝播していきますが、そもそもインドからスリランカに仏教が伝わったのは大変古く、インドのマウリア王朝第三代アショウカ王(治世:紀元前268〜232年)の息子マヒンダ(一説には弟とも)が、紀元前247年4人の修行僧と身内の者2名を伴って主従7名で来島し、仏教を広めたと言われております。そこはスリランカ第一の古都、アヌラーダプラの東約12kmにあるミヒンタレーの丘でありました。ここでマヒンダは、当時の王様で鹿狩りにやってきたティッサ王と会話を交わし、王は直ぐに仏教徒になったと言われています。
スリランカ仏教史の詳細は省きますが、マヒンダ長老は上座部が中心とされる西インドの仏教教団で活躍していたと言われ、スリランカには、その上座部仏教が入りますが、その他に大乗仏教も入り、古都アヌラーダプラには上座部仏教(大寺派と呼ばれた)の象徴である仏塔・ルワンワリサーヤ仏塔(創建、紀元前2世紀、高さ約100m)、そして大乗仏教(無畏山寺派と呼ばれた)の象徴であるアバヤギリ仏塔(創建、紀元前1世紀、高さ74m)、それに大寺派と無畏山寺派対立の産物としてのジェータナバ仏塔(祇陀林寺派、創建3世紀、高さ70m)の三大仏塔が建っております。
中国に伝わる「戒律類」の不備を慨き、西暦399年60歳の高齢で長安を発ち、17年間インド他の求法の旅を続けた中国僧「法顕(ほっけん)」は、当時のインドや中央アジアの実情を伝えた有名な「仏国紀」を書いておりますが、その法顕もインドから409年10月、スリランカに「律」の勉強にこのアバヤギリ寺・無畏山寺に入っております。また中国に密教を伝えた南インドの僧である金剛智と不空の二人も、中国よりも先にこのアバヤギリ寺を訪れており、当時スリランカは仏教の世界的拠点でありました。
スリランカが、はっきりと上座部仏教を正統としたのは12世紀初頭のことであり、時の王バラークマバーフ1世王が1153年、大乗のアバヤギリ派(無畏山寺派)とジェータナバ派(祇陀林寺派)を上座部マハービーラ派(大寺派)に統合し、上座部系を正統としたのでありました。これにより大乗仏教の活動は制圧され、古都アヌラーダプラに残る痕跡は崩れかけたその仏塔だけになったと言われております。
スリランカ仏教は、1505年からのポルトガル支配、1658年からのオランダ支配、そして1796年からのイギリス支配によってそのキリスト教伝道布教による影響を受けて、今もなお古い仏教寺院の中に往時のキリスト教の鐘の塔が建っている所があったりします。
現在、スリランカの仏教徒は人口(約2000万人弱)の70%、ヒンズー教が10%、キリスト教は11%、イスラム教は9%と、仏教徒が最も多く、しかも非常に熱心な信者が多く仏教が深く社会に浸透しております。
次に、スリランカの仏像等について申し上げれば、スリランカ仏教は釈迦信仰がその基本でありますから、寺院内に祀るその仏像もお釈迦様の立像、坐像、涅槃像しかないと言っても良く、大乗仏教のお寺によく見られる観音菩薩像や文殊菩薩像、日光・月光菩薩像のような脇侍は見られません。皆と言ってよいほど釈迦如来像ばかりであります。
今、スリランカの首都コロンボにある美術館、コロンボ国立博物館の一階入り口正面に堂々と御座りになっている釈迦座像をお目にかけましょう。
これはトルビラ仏陀像と呼ばれ、制作期は3〜5世紀或いは8世紀以降とする二説がありますが、大変ふくよかで、禅定印を結び半跏趺座を取り、足は右足を上にする勇猛坐であります。背筋をピンとたて禅定三味に入っておられるお姿です。お姿全体のバランス、プロポーションがとても良く、彫刻芸術としても完成度が高いと言われております。この仏陀坐像はその昔、今のアヌラーダプラ駅の近くに建っていた精舎に在ったと言われています。
また、涅槃像につきましては、皆様、涅槃像と言えば直ぐにお釈迦様が亡くなられたインド・クシナガラの大涅槃寺に奉安されている涅槃像(紀元5世紀)を思い起こされるかと思います。また或いは、有名なインド・アジャンタ石窟第26窟(紀元5世紀〜7世紀)の、悲しみが昇華され、涅槃を楽しんでおられるような微笑すら浮かべて静かに横臥されている像を、思い出されるかと思います。スリランカにも、ポロンナルワ期の、ガルビハーラ寺の美しい涅槃像があり、まんだら通信・報告4の中で御紹介致します。
最後に、生活の中に入っているスリランカ仏教の例として、私が見聞したことを御報告致します。
私は朝は早起きのほうで、起きると直ぐにTVのスイッチを入れる癖があり、スリランカでもそうでした。すると、朝5時半から6時半まで、スワーナワヒイニ(swanawahini)という局の番組で、仏教の経典の読誦とお坊さんの法話、説法が流れており、言葉は解らないままただ聴くのみでしたが、現地のガイドさんに伺うと数局が同じようにこれを流しており、聞けば亡くなった人の縁者がスポンサーになって数万ルピーを出してお経の読誦と説法の時間を買うのだそうです。
私は広い意味でのお布施の一種かと理解しました。
一人の人が亡くなったというその縁を捉えて、他の多くの人に仏の道、仏法の有難さを分かち施そうとする行為に私は胸を打たれました。